消極的な「住民」の規定 3

原理としての自治を考えると、そこで担い手として前提されるのは「主体」としての個人です。


なぜなら団体自治とは、端的にいって、独立の人びとの間に相互の自由な合意によって秩序(共存関係)を創出する活動であるということができるからです。


そして、そのような自治を実現する具体的な場として地方自治を捉えるならば、普通の住民が自らこの自治の担い手となりえてはじめて、それを権利として主張する根拠をもつことができるのです。


・・・・おそらく問題の核心は、今日の地方自治がたんに地方という地域的独自性のゆえに中央政府から尊重されるべきであるという公式をもち出すことではありません。


また、地方自治の原理が憲法に規定されているがゆえに尊重されるべきであると反復強調することでもないでしょう。


その住民ひとりひとりがあくまでも自分の生活利害から出発しながら、自治の主体としての条件を獲得し、利己と狭域をこえ出て他の人びとと共存の関係を形成しうるかどうかということなのです。


・・・そのような主体形成の住民エネルギーを、いま住民の「元気」とよぶことができます。


しかし、実は住民の元気はさまざまであり、そうした「元気」の類型と特性を描出することを通して、現在日本の社会における住民自治の可能性をさぐってみることにしましょう。


「元気」というのは、もともと、霊力が振い立つさま、霊振りの意で、気力・体力が充実して、その勢いが目立って外に現れることをいいます。


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